歴史的にみて、科学というのは、人間の積極的な理念において三つに分けられる。第一に科学を実践する人間性である。これは、一人一人の持つ科学理念と経験によって培われるものである。

第二に統合性と整合性である。これは、より一般的な体系を構築するにあたっての観念的な昇華を示す。

第三に可能性への飽くなき挑戦である。これは、表面的には、過去の凝り固まった観念の打破とされるが、人間の科学を通じて行われる健全な態度でもある。

この三つの理念は互いに相補的であり、共同的にも働く。現実には明確な区別をすることはできない。また他にも特殊で細かい内容の理念は存在するであろうが、ここでは上の三つの視点から科学的理念の在り方を吟味する。

人間性を重視する科学とは、例えば物理学において、その感性と動機を主体的に考える場合で、それを通じて実験や理論などに対し、発想のセンスを経験を積み重ねながら培っていく視点である。

いわゆる職人肌的で、ひじょうに緻密な仕事を成し、人間性とともに信頼性も培う。多くの経験から確実な結果を短時間のうちに導くことができ、応用科学や問題解決に役立ってきた。

科学教育において、この部分を確立するのが望ましいが、方法論にだけ固執すると人間として必要な主体的な科学するマインドが養われない恐れがある。

科学に統合性を要求する部分は、本来科学というよりも哲学的属性である。代表的なものに物理学における統一場の理論の理念がこれにあたる。

科学において統合というものは、その性質上ひじょうに特殊なもので現象論的適用は難しいが、それとは別に観念において統一することで科学的環境や人間意識のレベルの向上が望むことができる。

また、科学としてその整合性を要求するというのは、理論そのものの応用に役立つ。これは、広い意味でいえば情報の編纂になるものであるから、教育的価値、社会的利用価値も高くなる。

科学が科学的方法論によって我々に提供してきたものは、正しき世界の認識である。これは歴史的に大小含めて数々のコペルニクス的転回を行ってきたということと同等である。

そして、そこから転じて我々は科学をもって可能性を追求する理念も培って来たのである。例えば、生物化学などの学際的な領域はかつての生物や化学ではない新しい分野の開拓への可能性を求める理念から生じたものである。

これは主にプラグマティズムによる影響が、その方法論を発展させた経緯もある。したがって、かつての哲学が予測もしなかった現象を提供をしている側面もある。

それぞれの理念にそれぞれの欠点も内在している。例えば、経験を重視する場合、自分自信の体験に固執するあまり全体を見るのをおろそかにする傾向がある。

統合性や整合性を重視する場合でも、観念を現象と混同したり、現象を観念と混同してしまい自己満足的に結論づける傾向が強くなる。

可能性を追求する場合は、物質的な事柄に偏重して行き、人間の精神を疎外し、多くの混乱を招く恐れもある。

科学の進化を望むには、上の三つのどれも欠けてはいけない。それらは互いに補いあう関係であるべきで、その部分を科学者やそうでない市民が認識する必要がある。

現実的には、科学や科学者にとって高度な専門化は、ある種、免れないかもしれないが、市民を巻き込んで過去から培ってきた科学的理念の長所と短所は把握し、共有すべきである。

 

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