6月 26
王陽明の提唱した知行合一は、知性と行為が不可分であって互いに相補的であるというものである。つまり、知恵と実践が一つになって
はじめてその実相が成立する。
私欲によって理性を司る心が曇らされていれば、知識と行いはひとつにならない。
学問することとは良知を成し遂げようとする永続的な努力にほかならない。正に学問とはその行為を養うものであり、その実相に内在する。
知行合一は実在性および現象性からみることもできる。実在においては時間的または空間的概念が現象の世界と違って空間的に区別化され非同期時間的に定量化できない。
そのため、実在的観点では知が行いであり行うことが知なのである。時間的かつ空間的な隔たりがないために「物理的」に知行合一なのである。
しかしながら、現象的な時空間においては、その知識の発生が相対的であり、その知性の本質を追求する段階を追わねばならない。これは物質の確定を非同期時間の下で定量化することによって行うからである。
行為はその知識を現象世界において実証するという相補的な役割となっていることがここで見ることができる。
また、別な表現をすると、実在もしくは実相において知性が実体的で有体性があるということだ。したがって現象空間における行為は絶対知または本質知を求めるための方法論としてとらえられる。
逆にいうと、知性と行為の現象的分離が絶対性へ昇華する運動を促進させると考えられる。